この2週間くらいなんのやる気も起きないフェーズに突入してしまい、会社に行っては帰宅して寝るという毎日を繰り返していた。このモードに入るとゲームをやろうがエッチな動画を見ようが楽しくない状態になってしまい、人生を生きるモチベーションすらも低下してくる。別に眠くもないのですぐには寝付けないが、とにかく見たくもない動画を垂れ流して無理やり眠るという日々を送っていた。
ようやく心の彩りも取り戻しつつあるのでこの日記も書けるようになっているのだが、1週分書きそびれてしまった。過去日記をつけるのを失敗しているのはこれが原因だろう。
ぼちぼち他の記事もあげられるよう頑張りたいところ。
オモコロチャンネルというYouTubeチャンネルを見ている。もともとウェブメディアとしてのオモコロもたまに見ていて面白いと思っていたのだが、動画になったことで摂取しやすくて上がった動画は欠かさず見ている。
それに付随してオモコロ関連のコンテンツにも触れている。
その中の一つにダ・ヴィンチ恐山さんのnoteがある。
彼が書いている月額課金制の日記があるのだが、最近になってそれも読み始めた。内容も興味深いものがあるし、タイトルのつけ方なんかは真似(できてないけど)させてもらっている。
そこで一つ、気づいたことがある。
「noteの読者の多くは恐山さんを作家として扱っている」ということ。
それ自体に不思議はない。小説やエッセイを数冊出しているし、脚本や漫画原作もやっているわけだからそりゃ立派な作家先生ではある。
でもオモコロチャンネルをメインで見ている自分にとっての恐山さんってどっちかっていうといじられキャラだし、何なら作家の一面すらいじられていることが多い。
だから恐山さんを作家としてとらえたことはなく、チャンネルの演者としか思っていなかった。
noteのコメントにはナチュラルに先生呼びしている人もいるし、丁寧なコメントも多い。
もちろんどっちが正しいとかはない。YouTubeのちょっと受けを狙ったようなコメント欄の雰囲気も、noteの真面目な感じの漂うコメント欄もどちらも味わい深いものがある。
ただ、こんなところで生態系の違いというか、色の違いを感じると思わなかった。同じ日本で同じソーシャルメディアという媒体で、同じ人を見ているのに。
だからどうしたって話ではある。

